美しいサッカーと醜い解説、日本サッカーのこれからに期待する話
久しぶりの日本のサッカー実況解説を聞いた。
NHKのiOSアプリも音声は英語だから、本当に久しぶりに日本語で試合について聞いた。
先日のセネガル戦のことだ。
日本代表は素晴らしい試合をした。
私はセネガルを応援していたが、その意味ではとても悔しい試合になった。
褒め言葉として受け取って欲しい。
理論(戦術)と実践(ピッチの出来事)の両面でセネガルは日本を上回った。
ヒトに食いつくセネガルのディフェンス習慣を逆手に取り、見事なドリブルとパスの導線設計を行っただけでなく、適切な戦術修正まで完了した西野監督。
タクトを担い、正確なパスと高い戦術理解度を見せた柴崎選手。
そして局面で勝利し続けた大迫選手と昌子選手。
日本が勝利した要因は様々に挙げられる(裏を返せばそれだけ強い相手だったいうことでもある)
本当に素晴らしかった。
試合の解説についてはこの記事が素晴らしかったのでこちらを参照して欲しい。
ただ、それと対照的だったのは実況解説だ。本当に酷かった。
簡潔に酷かったことを言えば、チーム個別・選手個別のリサーチ結果を全く踏まえず、旧時代的な一般論を語るばかりであった点であると言える。そして、その結果言っていることが論理矛盾していても気にしない点もそうだ。
実況の方は何度クリバリとサネの身長を告げたのだろうか。
身長でその選手の特性を紹介するのは馬鹿げている。身長の高い選手の強みはヘッダーとコンタクトだというのは前時代の話だ。もっと言えば、身長は何かを成し遂げるための武器であって、何をするべきかは教えてくれない。
クリバリは(我らが)ラファ・ベニーテスとマウリシオ・サッリという二人の守備オタクから、世界で最も体系だった守備戦術の薫陶を受けた選手である。ディシプリン、ラインコントロール、カバーリング、ゾーンポジショニング、どの技術も高い。そしてもちろん強くて速い。
そういう紹介を一度でも受けていただろうか?
我らが愛するサディオ・マネについてもそうだ。
マネは速い。ものすごく速い。
ただ、速いだけでインターナショナルレベルの選手になれるほどこの世界は甘くない。
ポジショニングと規律と連携にも技術があり、そして何よりロジャー・シュミットと(我らが)ユルゲン・クロップの教えを身に染み込ませたプレッシングの技術は世界のアタッカーでも真のトップレベルにあると思う。
そういう紹介を一度でも受けていただろうか?
日本代表は後半途中に岡崎選手を入れたが、この意図の考察は何だっただろうか?
「FWを並べて攻撃的に振る舞う」
これもまた旧時代の遺物。
もちろん岡崎選手の投入の戦術的意図は様々に考察できるだろう。もちろんエリア内の人数を増やす意図もある。岡崎選手は、英国では中盤のフィルターを掻い潜るリンクマンとしての役割も評価されているし、守備も上手い。
ただ、少なくとも「FW」を増やすことと「攻撃的に」なることの間には何のロジックもない。
絶対に勝ちたいセネガルが同点の早い時間帯で「守備的な」クヤテを投入したのは何故だっただろうか?
セネガルは「すぐボールウォッチャーになる」らしい。ただ一方で「組織的な守備」が強みでもあるらしい。ついボールばかり見てしまう選手たちがどう組織的に守るのだろうか?
どんな場面でもボールウォッチャーになるというような選手はこのレベルには少ないだろう。
実態は、ボールウォッチャーになりがちな場面とそうでない場面があるだけだ。
なりがちな場面を作るのが攻撃側の仕事である。
日本は幾度となく危険な盤面をピッチに描いていた。
だからこそ、それを語ってやる言葉が無かったことはとても残念に思った。
全てを語れとは言わないが、恣意的な断片を語るのはやめて欲しい。
サッカーをやるのは選手と指導者だが、育てるのはそれだけではない。サポーターがサッカーを育てられるような環境が充実していくことを願いたいと思った。